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誰にも言えない事ばかり 心に詰め込んで泣いたっけ
誰にも見えない涙のあと スッと消えてくれればいいのに

強い強い人になれば 大丈夫って笑えるかな
弱いって言えることだって 大事なことだよ

拾い集めた夢の欠片 握り締めた手と手ひっぱって
終わらないことを始めてみよう 今日も素晴らしいスタートだ

弱い弱い人にだって もしかしてって思えるから
出来るって言えることだって 大事なキーワード

生きるのは辛くないと 思えただけでよかった
だからもう怖くないよ うまく走れなくなったって
君の涙が道になるんだ

飾らない言葉で ぐだぐだになっていいからね
どうしても伝えたいんだろう それがきっと重要で
それだから僕らは 思いのほか何も言えなくて
もうひとり自分探したり 話し合ってみたりする

大切な言葉が 粉々になってしまう前に
どうしても自分自身には 言わなくちゃ困るのだ
それだから僕らは 互いに言葉投げかけ合って
当たり前の灯をともすように

あの日の映画のように 勇気に変わればいいな
一人じゃ叶わなかった ありがとう忘れないよう
生きるのは辛くないと 思えただけでよかった
だからもう怖くないよ うまく走れなくなったって
君の涙が 君の言葉が 愛になるんだ

飾らない言葉で
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くぅの耳と座布団のタグが同じように飛び出してる
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最近、くぅはこの座布団が大のお気に入りで ベッドにはあんまり寝ずに
これを気の向くままに移動しては寝ている
私がご飯の支度を始めると、見える位置に移動してジッと私を見張るのです・・・
洗濯して外に干してる時などは「お母さん、私の座布団どこやったん?」と言わんばかりにつけまわし、
セットすると今度は呼んでも来ない(苦笑)

年老いてイタズラもしなくなり、オモチャにも興味を示さないくぅが執着するのは
ごはんとおやつとざぶとんだけ・・・ってか?

そんなオウチ犬のくぅが天気のイイ暖かい日は自分から外に出たがるようになりました。
春が来ている証拠ですよ
くぅが積極的に外に出るのは春だけですからね
またあの公園()に行かないとね~



金曜日あたりから調子が悪かった。
鼻と喉の奥が痛く、頭痛も少ししていた。
どうせ花粉だろうと思ってたら昨夜から熱が出た。
今日は1日寝て過ごした。

リビングでダンナがくぅを撫でながら
「fumikaの迎えは今日はコイツが行くからな」
「え?」
「コイツ、あのホッピングできるねん」
「え?」
くぅがホッピング?・・・・・・・・・
じゃあfumikaはどうやって帰って来るん・・・

結局私がfumikaを迎えに行く。
なぜか母と一緒に。
駅ではなく勤務先まで・・・だけど見たこともない大きなショッピングモールで
母を残しfumikaを探しに行く。
fumikaは忙しそうで声もかけられない。
まだ帰れそうにないので母の居たところに戻ると母はいない・・・
私は泣きながら母を捜す。
ちいさな子供のように「お母さん・・・お母さん」と。
気がつくと外に出ていて、そこはキレイな青空とキレイな海がつながってる。
母は石でできたカマクラのようなガードマンの休憩室で休憩させてもらってた。
私の方を見る母は満面の笑顔で 守衛さんの話をする。
フェイドアウトのように消えていく母を抱きしめて
「靴買いに行こう!しんどかったら車椅子借りてきたるから」
「うん」と言って母が笑った瞬間、目が覚めた。

鼻水と涙でグチャグチャになった自分が可笑しくて笑えた。
熱は下がっていた。



なかなか暖かくなりませんが、花は暦通りに咲くんですね。

こでまり
無題-24bitカラー-01
↓全体像も好きだけど、アップで見るともっと可愛い♪
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ボロニア・ヘテロフィラ・・・別名:ピグミーランタン(小人のちょうちん)
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↓スズランみたいな小さな花が可愛いです
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バコパ?カーペットカスミ草
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フラワータイムズ(クリーピングタイム)
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オオデマリやアジサイにも新芽が出てきましたよ
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もうひとつ、完全に枯れたと思ってた鉢植えの小さな木から芽が出てきました。
これが何だったのか思い出せないけど楽しみ~


今日はひとりで映画『太平洋の奇跡』を観てきました。
ひとりで映画に行ったのは初めてかも・・・
ひとりでも行こうと思ったのは、何を隠そう竹之内豊ファンだから




原作者は当時サイパン島にいた海兵隊員で、戦後数十年してから大場大尉にもう一度会いたいと
自ら居場所を突き止めて会いに行きました。
敵だったアメリカ人が、当時の日本人の精神性や本質を認め尊敬の念を抱いて大場さんのことを
本に書きました。
タッポーチョ 太平洋の奇跡 「敵ながら天晴」玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語 (祥伝社黄金文庫)タッポーチョ 太平洋の奇跡 「敵ながら天晴」玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語 (祥伝社黄金文庫)
(2011/02/04)
ドン・ジョーンズ

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竹之内豊さんが演じたのは、この大場栄大尉。
敵であるアメリカ軍からその勇士を賞賛された、誠実さと優しさに溢れた元地理の教師。
口数は少ないが、決断力と判断力に長けていた。



本当は先月行く予定だったのですが、父の事があり行けませんでした。
2時間余りも携帯の電源をOFFにできる状況じゃなかったですからね。。。

先月ではなく今この時期にこの映画を観て、より感慨深いものがありました。
民間人の辛抱強さや、苦境の中でも明るい笑顔を見せる子供たち。
その人たちを守るために命をかけて戦う大場隊。
日本人として誇りを持ち、粘り強く戦い続けた。

大場さん、現在の日本人もあなた方の精神をちゃんと受け継いでるようですよ。


今年も桜桃(オウトウ)の花がいつの間にか咲いていました。
DSCN4000.jpg
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 (興味がおありでしたらどうぞ→2010年 2009年)

この木は家を建てた記念に植えたもので14年になります。
今年も同じように咲いてくれたことがウレシイ
また去年のように(★)たくさん実がなってくれるとイイんだけどね~







福島県いわき市の波立海岸の2011年の初日の出らしいです。



小さな子がお菓子をひとつと小銭を持ってコンビニの長い列に並んでいた。
やっと自分の順番が来ようかという時にレジ台の上に置かれた募金箱をじっと見つめ
お金を募金箱に入れお菓子を棚に戻し店を出た。
それを見た店員さんの「ありがとうございました」の声が震えていた。


この子が募金したのは小銭でも、何人の心を動かしたでしょう。
小さな力が大きな力になるでしょうね。



大丈夫っ!
きっとこんな美しい夜明けがまた来るっ!

TVで流れる現実とは思えないような光景・・・胸が詰まります。
3月11日のあの時間、こちらも少し揺れました。
めまいかと思うようなゆっくりとした揺れでした。
それでさえ、怖さと不安を感じました。

亡くなられた方々、目の前で家族や家を津波にさらわれた方々、家族が安否不明の方々、
寒い避難所で十分な食べ物もなく眠れない日を送っておられる方々、
また先ほども爆発があった原発で不眠不休で働く方々、その家族の方々、
原発の近くにお住まいの方々、故郷が被災地の方々・・・
どれだけの人たちがどれだけの悲しみと不安をかかえておられるのでしょう。

私事になりますが。。。
回復に向かってると思ってた父が急変し3月5日に亡くなりました。
2月21日に人工呼吸器が取り付けられ、3月1日に人工呼吸器が外され
「よかったなぁ!」という妹に父は言ったそうです。
「ええことあらへん。いっぺん死んだのに、もっぺん死ななあかん。」
父は私のために戻ってきてくれたのかも知れません。
母が戻してくれたのかも知れません。
その4日間があったから・・・少しですが話もできました。
ごめんとは言えなかったけど、カサカサになった手と足にクリームを塗ってあげました。

ほんの8ヶ月前に母の葬儀をした場所で、同じように父を送りました。
まるでデジャヴのようでした。
あちらの世界のことはわかりませんが、骨上げの時にキレイな虹が出ていて
母が迎えに来たんだと思え何だかホッとしました。

今回の地震のニュースを見ていて思います。
母や父をちゃんと見送ることができ弔うことができたのは幸せなことだと。


3月も半ばだというのに、家の中にいると寒いです。
だけど、東北に比べると我慢できる寒さです。
重ね着する服だってたくさんあります。
暖かい飲み物だって飲めます。
全エアコンのブレーカーを落としました。
便座やこたつのコンセントも抜きました。
パソコンもこの後、切ります。
fumikaは怪我をした人のために献血に行くと言ってました。
(低血圧+貧血で断られることが多いんですけどね)
私も何かできることを。。。




父は今,入院しています。
間質性肺炎という病気が急激に悪化したのです。
(原因・病態・治療法など、まだまだ解明されていない部分も多く厚生労働省の特定疾患に指定されています)

入院した夜(2月20日)に妹からの電話で入院したことを知りました。
私はあれ以来()、父には会っていませんでした。
次の日は午前中に陶芸教室の予約を入れていたので、お昼から面会に行く決心をしていました。
ところが、陶芸中に弟から電話が入り
「病院から電話が入って、どんどん状態が悪くなってるので来てほしいって言われてん。
俺、今から走るから」と・・・
教室の外に出て電話を取った私は、いつもと違うメンバーの中で何も言えず平静を装いロクロを回しました。
でも、何度やってもグチャッとなってしまうんです。
結局、先生に事情を話し病院へ。

父の手を握り「yukoやで」と言うと父は苦しみながらも頷きました。
妹が来たのと同時に私はお手洗いに行くために病室を離れたのですが、父は泣いていたそうです。

家族が揃ったところで、治療のための人口呼吸器と太ももには栄養を送るための管をつけて頂きました。
先生の説明によると、五分五分との事でした。
この病気の人はこういう状態になって亡くなることが多いそうです。

次の日・・・
「すごく落ち着いています。山は超えました。
ですが、今は機械によって呼吸を安定させているだけなので予断を許さない状況です。」
そんなこんなで落ちつかない日が続きましたが、いい経過をたどり・・・
8日経った昨日、呼吸器が外されました。

仕事が終わって帰ってくると7時前。
病院に行くのは無理かと思い、義妹に電話をして様子を聞きました。
だけど、やっぱり顔だけでも見に行こうと、急いで晩ご飯の支度をし面会に行くことにしました。
息子も行くと言って一緒に行ってくれました。

まだあまり喋れませんが小さなかすれた声で少し話もできました。

病院を出て、駐車場にむかう道で
「また元気になったら、大きい声でにくそい事を言うんやろな~
ほんでまたお母さんも腹が立つんやろな~」って息子に言うと

「じぃちゃんはそういう人やってわかってるやろ?
お母さんがもっと大人になって引いてあげたらいいやん」
「・・・だってなぁ~」と私・・・
「じぃちゃんが危なかった時、お母さんはずっとじぃちゃんに会ってなかったことを後悔したやろ?」
「・・・後悔なんかしてないわ」と私・・・

どっちが子供だか。。。

息子ほどは大人にはなれませんが、父よりは大人になろうと思ったのでした



※最後まで読んでいただき有難うございます。
お返事がなかなか出来ないと思うので、しばらくコメント欄は閉じさせていただきます。

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